前にアメブロでやってたブログで、今でも頭に残ってる内容なのでほんのちょっとだけ手を加えて再掲してみた。
仮にアメブロの方を消したりして、他のは消えてしまってもこれは残って欲しいかな…と思ったのも理由の1つ。
タイトルからして
【命は美しい】
の頃のブログやと思われます。
この曲はリリースが2015年3月。
前の年の年末の紅白歌合戦に出られなかった後の11作目にあたる新曲でしたね。
紅白について云々のその経緯は改めてココでは書きません。
それが直接の原因になったどうかも別に今となっては興味があまりないので触れませんし書きません。
ただ、そのタイミングでの新曲なので選抜のポジションに多少なりとも動きがあったとは思います。
そのポジションの変化が何にどう繋がって何を意味するのかも今は別にどうでもいいです。
まぁ、多少自分の中でアレコレ考えたりはしたけどそれはぼくの頭の中で完結する話で改めて人様に聞いてもらったり人目につくような文字にする事でもないと思ってます。
個人的にお話をする機会…、ご飯を食べに行ったりお酒を飲みに行ったり…、そんなクローズドエリアでならお話しする事もあるかもしれませんが。
ただ、その件だけでコレを書こうと思ったわけではないのですよ。確かに今回のソレが引き金になったかもしれないけど。
そのずいぶん前にも同じような考えに至る出来事があったんです。なんならもっと大きな出来事が。2013年の2月だったかな…。その時に既に初弾は装填されていたんですよ。
その時はまだブログとかしてなくてただ自分の中で、自分の感情の中だけで何かと取っ組み合って殴り合いの喧嘩をして何も答えが出なくてただただ疲れて…。
今みたいにSNSで誰かと繋がったり話を聞いてもらえる状況ではなかったですからね。そんな環境なら少しは楽だったと思うし噛み砕けるまでの時間も半分くらいで済んだかもしれないですね。(まぁ、傷を舐め合って終わったかもしれんですけど)
それからちょっとの時を経て、ブログという形で自分の中の言葉を文字に連ねる事ができるようになって、加えて、自分の現実の生活・仕事・人との繋がりをシンクロさせてあのブログを書いたはずです。
何かをやらかした人を闇雲に擁護するつもりもないです。
ただ、槍玉にあげたり目くじらを立てて攻撃するつもりもない。
まぁ、多少なりとも推し補正("推しグループ"として)が入ってるからですけどね。
実際、補正が入ってない人に対してはまぁココでは文字にはしませんがなかなかアレです。そんな人です、この人。
当然、
「いや、それは違うでしょ」
「何を言ってるのか理解しかねる」
と思う人もいるでしょうね。
それはそれでいいでしょ。
それはその人の考え方ですからね。
実際に社会人として会社勤めしてた時に感じた事や経験した事も含まれてますから、ただ単にアイドルのアレコレに対しての考察だけではないんです。
勿論、そんな頭をネガティブな方向に働かされる事なんてないに越した事はない。
でも、このご時世、ある事ない事が目に入ってきたり、ほんの些細な物事にいつの間にか誰かがオヒレを付けて大きな翼や羽を付けて、ただの人畜無害な存在を魔界の化物のように仕立て上げたりする事もあります。
気をつけて自分の目で見て判断するように心がけてはいるけど。
あと、今になって穿り返したのにはもう一つ理由がありまして。
少し前にとあるタレントさんが物議を醸した件がありました。所謂《炎上》というやつです。
それを知った時に同じような事を思ったんです。
その人が"降板"するのか"謹慎"するのかはわからないです。(謝罪的な事はしたみたいですけど)
まぁ周りが論点ズレてるのも気づかずに『そこぢゃないよ』って事をギャーギャー言うてらっしゃるなぁ…と思いました。
ストライクが入らない事で試合を壊した先発ピッチャーに対して『交代』と言えるのは監督(か、一緒のチームで戦っている選手たち)なんやと思うんです。
ベンチやダッグアウトに戻って話し合ったり、マウンドに集まってあれこれ意思を確認し合ったり。そして続投するのかマウンドを降りるのかを決める。
周りからの野次で決めるんではない。
野次なんです。
[外野]からの野次。
([外野]というとややこしいw)
ただ単にスタンドから野次を叫んでいるファンなんですよ。同じフィールドにすら立ってないの。
言うてる本人はすっかり監督のつもりかもしれんけど違う。
それか、ただ、TVでナイターを観ながらビール片手にやいのやいの言うてるだけ。
そんなスタンドにいる客やTVの前の自称・エセ監督が
「ピッチャー替われ!」
て野次ってるだけ。
もっと言えばそんな人たちが
「ピッチャー辞めろ!」
「野球辞めろ!」
なんて言うてるのおかしいし、そんなん言う資格なんてないし。
勿論、イエスマンだけでは成長も進歩もない。《野次》のように厳しい意見も必要でしょう。
ただ、《野次》は発して終わり。それで発奮させて終わり。
《野次》が聞いてもらえないからといって、それで『なんで聞かない!』と噛み付くのはもう《野次》ではない。ただの我儘でクレームでしかない。
ぼくも観たくない人、声を聴きたくない人はいます。でも、その人を見かけても自分の中のヘドロみたいな感情を吐き出したりはしないです。黙ってチャンネルを変えるかTVを消すだけです。
最近は誹謗・中傷なんてネガティブなワードもよく見かけるようになった。
言葉の重さ、鋭さ、痛さを知らない人ほどすぐにそのナイフを抜きたがる。
そして相手が抜き返してきたら
「冗談なのに…」
とヒヨる。
抜くのなら抜かれる覚悟をしないと。
しばくならしばかれる覚悟をしないと。
あれ?
なんの話でしたっけ?
〜〜〜・〜〜〜・〜〜〜・〜〜〜・〜〜〜
…ってトコまで下書きにあって放置してあった()
今回、またちょっと思う事があったので引っ張り出して加筆して残す事にしました。
深夜の独り言みたいなもんです。
機会があればゆっくり語りたい事ではありますけど、いちヲタクのエゴみたいなもんやからここであげて取り敢えず供養しておきます。
久し振りの投稿がこんなんでちょっとやるせない(›´-`‹ )