彼はタバコの銘柄を変えた。
◯歳(法令より早い歳)からタバコを吸い始めて、色んなタバコを吸っていたけどずっと至って普通のタバコを選んでいた。
メンソールは一緒にいた子の影響。
メンソールを吸っていた子は2人いた。
1人目は確か《ピアニッシモ》だったと記憶している。
最初は
『メンソールなんかスースーするから吸ってて美味しくない』
とか言っていた。
わかりやすい[食わず嫌い]のようなもの。
『美味しいの?』
些細な興味で1本もらって吸ってみた。
想像していたほどの抵抗はなかった。
でも、わざわざ銘柄を変える程は惹かれなかった。
その子は自分のメンソールを、彼は自分のタバコを吸う。
そんな至って普通の事が気づけば2年半ほど経っていた。
環境が変わる。
勤務地、住む場所、周りにいる人間。
テレビのチャンネルもガラッと変わり、エスカレーターの立ち意味も左右が入れ替わった。
そして、《マルボロライトメンソール》を身近に感じるようになった。
その《マルボロライトメンソール》は奔放で自由で我儘で素直でズケズケと距離を縮めてきた。
猫のような性格でとにかく世話がかかる。
慣れるまでは取説が欲しいと本気で思ったけど、きっと仮に取説があってそれを読みながら対応しても更にそれを越えるクセのあるお題を出してくるような飽きないめんどくささ。
呆れるほど燃費が悪く、快適にエアコンが効くわけでもなく、エンジンをかけるのにもコツが要り、しばらく乗らないとヘソを曲げるように調子が悪くなる。
そんな昔の車のように手間がかかり世話がやける。
でも、そんな苦労さえも楽しめる車。
ガサツな人間から見ても
『ガサツやなぁ』
て思うくらいのガサツ。
文句を言いながらその世話をやくのも心地良いし、それは近くにいる人間の特権だと思っていた。
いつからか同じタバコを吸うようになった。
「あ、タバコなくなった。ちょーだい」
そんな言葉をよく聞くようになったから。
それならいっそのこと共有すればいい…という単純な思考。
そしてそれも心地良い。
何年かして少し環境が変わる。
何かと世話がやけて
『何も自分でできやんな。それくらい自分でしぃや』
て小言を言われてたくせに、親の仕事の都合で1人で海外に行く事になり、心配をよそにちゃんと仕事をこなしてその期間も半年以上になったり、帰国しても段取りがつけばまた海外に行くようになって、嘘か本当か大好きなお酒もほとんど飲まなくなったらしい。
酔って電話をしてきて夜中に車で拾いに行って家まで送らされる事も、飲むたびに目一杯はしゃいでカラオケのハシゴに付き合わされる事もなくなった。
とある都合でまた環境が変わる。
彼は相談もせずに、その理由も告げずに環境を変えた。
自分の一方的な都合での急な大きな決断と変化は海の向こうで1人でいる相手には負荷になり過ぎると考えた。
自惚れだろう。
おそらく、負荷になったりする事はなかった。
そんな事は少し考えればわかるはずだったし、そんな人ではない事くらい近くにいた自分が1番わかっていたはずだ。
立場が逆ならそうだろう。
でも、迷いたくなかった。
揺らぎたくなかった。
最後に逢った記憶も触れた記憶も曖昧なまま、それ以降はなんの連絡も繋がりもなくなった。
しなかった。
できなかった。
彼はタバコの銘柄を変えなかった。
正確に記すと種類は変わってた。
白いマルボロライトメンソールが黒いマルボロメンソールになったり青いマルボロメンソールになったり。
でも《マルボロ》と《メンソール》変わらなかった。
約10年近く。
同じタバコを吸う事でどこで何をしているのかわからない人とのシンクロを望んでいたのか、ただ単に過去の想い出を反芻していたのか。
また、その両方か。
彼はタバコの銘柄を変えた。
ある時、風の便りで新しい人生を送っているとかいないとかをほんの少し聞いた。
特にその事について詳しく聞いたり詮索したりはせずにスルーした。
その噂だけで十分。
嬉しかった。
自分の差し伸べた手ではなくても、誰かの支えでも構わない。
幸せになってくれてれば。
建前では
『タバコの値段も高くなったからこっちの安いのに変えた。色も好きな紫やし』
て笑って答える。
それもある。
実際、タバコ代は2/3になったし。
《キリ》とか《けじめ》なんてカッコイイもんではない。
銘柄が変わっても無意識にメンソールを選んでいるあたりが彼らしい。
またそのうちタバコの銘柄は変わるかもしれない。
変わるだろう。
でも、いつか、もしまた言われる事があれば、あの頃と変わらずに笑顔で答えると思う。
「なぁなぁ、タバコちょーだいや」
『自分で買えや。しゃーないな』