150【ダイ・ハード/ラスト・デイ】(A Good Day to Die Hard)'13年公開のシリーズ5作目。ブルース・ウィリスが'22年に俳優を引退したので事実上今作がシリーズ最終作に。監督は[エネミーライン]のジョン・ムーア。原題は、インディアンの言葉である「死ぬにはいい日だ(="It's a good day to die.")」をもじったものらしいです(Wikiより)。なんか前作くらいから原題をやたらほじくって小洒落た感を出そうとしてません?そんでそれがあんま小洒落てないという(個人の感想)。[ダイハード]のナンバリングじゃダメなの?(原題はダメなのかもね、もしかしたら。知らんけど)。WOWOWでシリーズ作品一気放送してたのを録画してあった(全作円盤持ってますが)のを観ました。出来栄えとしては〈シリーズ続編〉というより〈スピンオフ〉。おもしろいですよ。ドンパチ派手で。でもなんか違う。なんか薄いというか軽い。シリーズ通して前作[4.0]までは120分超えだったのに今作は100分ほど。大絶賛しながら書いた第1作目の次に書くといかに今作がトホホなのか際立っちゃうかもしれませんがまぁ実際そうなので仕方ないのかなぁと思いながら書きます。
冒頭の裁判所のシーン、爆破の特撮はちょっと「おもしろいかも!」と期待しちゃいました。そんで、作戦を仕上げるために突入してきた部隊が最初ガスマスク越しの視線もなんかワクワクしました。でも導入がとても稚拙過ぎて。「政治犯2人が歪みあっている」の説明だけでいきなり始まるもんで『???』なスタートで不安な雲行き。そしてココで許されない大チョンボのひとつをやらかしてる。そのひとつ目が《ジャックがコマロフの裁判に絡む事を目的に殺人罪で逮捕される》というシナリオ。コレが「実は殺人に見せかけたトリックで…」じゃないの。実際にジャックは人を殺めてる(通常版では相手の身体を撃ったけど別バージョンでは頭を撃ち抜いてるらしい)。あかんやろ。ホンマに殺したら。結果的にバックにCIAがついていたワケですがCIAは目的のために人を殺すんか?ありえん。おまけに『6分遅れた!』だけで作戦中止にする本部の無能さ。何年もかけてきた作戦なんやろ。そして〈プランB〉の頼りなさ。セーフティーハウスに1人しかいないってさ。本部で何人アタフタしてるんよ。無能かばっかりか。ついでに言うと"6分遅れた"理由の半分は勝手に車から降りてどっか行こうとしたコマロフ(おまけにそれが理由でアリクに見つかる間抜けっぷり)が原因やし、そもそも"6分遅れ"って何の6分よ。裁判所が襲撃されたのも計画の範疇みたいな事になるやん。その辺がすっちゃかめっちゃなのよ。粗い、粗い。
序盤のカーチェイスも「派手にしよう」というパワープレー感。そして長い。このカーチェイスの製作費が10億円とか。いや、そこまでかける必要は感じないですよ。ただただ派手に車を潰してるだけにしか見えない。おまけに品がない。ワイルドほにゃららとかミッション・インなんたらかんたらとかのカーアクションみたいな事をしたかったのかもしれないですけどできてないんですよ。無駄にクラッシュさせてるだけ。まだ[4.0]のハイウェイのトンネルのシークエンスの方がずっとマシ。おまけにココでもやっちゃいかん大チョンボをやらかしてる。 ジャックたちを追うためにマクレーンが車を調達する際…1台目のトラックは停車してあった車輌なのでまだわからんでもないんですが、問題は2台目ですよ。一般市民の車の前に飛び出して文句を言ってきた相手をぶん殴って車を奪うんですよ。お前、警官やろ。本国(アメリカ)じゃなかったらなんでもありかよ。ロシアなら、ロシアの市民相手ならなんでも許されると思ってんのか?確かに過去にもタクシーを奪って(一応、『警察だ』と強引とはいえ協力を要請した)公園内を爆走したり駐車してある車を盗んだり通りすがりの人の携帯を奪ったりはしましたよ。でも今回の荒業はあかんでしょ。だからロシア人に対して『ロシア語なんて喋んな!』の台詞も笑えない。ドンズベリですよ。そんで一般市民の車を踏みつけて大混乱を巻き起こす。ロシアの人たちの人権なんてお構いなしとでも言わんばかりに。どっちがテロリストなんかわからん。だけどね、最後に装甲車が高架から突っ込むシーンはよかったです。声出ました。そのシーンというかその直前の自爆に近い無茶なマクレーンの捨て身の攻撃が良かった。あんなん絶対に自分も無事では済まないやん。でもそこで最後にハンドルを切る、切れる。アクセルを踏める。それがマクレーンの凄さであって強味であって"敵にすると厄介"なんやというのを表現できてたと思います。このカーチェイスの観処は唯一そこくらいですね。
カチコミの前に武器を入手するやり方、『あのクラブは武器の持ち込みができないから車に隠しておく』はまぁ百歩譲ってスルーしましょうか。ただトランクの中に銃が何丁かあるだけじゃなくて防弾ベストやマシンガンやライフルをごっそり入れておくのはテロリストの車なのよ。粗い、粗いって。よくこんな脚本でOKが出ましたね。そんで、敵が防護服とマスクの完全装備でいるのに2人はそんなのお構いなしで普段着のまんま。マクレーン家の男は放射能に対してでも「ダイハード」と言わんばかりに。別にエンタメアクション映画に〈リアルさ〉を事細かに求めたり押し付けたりするつもりはないですよ。あくまでも「フィクション」なんですからね。多少のご都合主義にも目を瞑りますよ。『放射能を中和するガスよ』。正直「なんそれ!」ですよ。本音は。厨二が考えたんか?って。でも作品内なら別にいいと思いますよ。それは仕方ない。そーゆー設定を作っちゃうのなら。それならそーゆー世界観なんですもん。そこの〈リアルさ〉はぼかしてくれていいんですよ。ただ〈整合性〉は保ってくれよ、と。2人が野面でカチコムのも別にいいけどそれはそのナンタラガスが十分に散布されて敵側もマスクや防護服を必要としなくなるくらい浄化されて中和した状態じゃないと。まぁそれでも最後の"プール"の使い方だけはなんともならないでしょうけどね。あの使い方は悪くないけどあの使い方をするなら"汚染"を連想させない整合性を取らないと。その辺も「なんとかなるか」くらいの雑な感覚で作られてるように感じちゃうんですよ。そもそも中和させるなら最初から汚染は解除されてたりチェルノブイリ以外の場所でもよかったくね?
[1]や[3]の伏線の張り方を勉強して作って欲しかった。あんなよくある〈裏切り〉程度でこのシリーズの生命線である《見せかけ》のトリックになんかならない。観てる人ほとんど気づいてるでしょ。チープ過ぎます。そもそもこのシリーズは派手さで勝負するんじゃなくて練りに練られた脚本や秀逸な伏線とその回収の見事さ、パズルが完成した時に『こんな絵になるのか!』のトリックが作品をおもしろくする観処であってこのシリーズが他のアクション作品と一線を画すパワーポイントなんじゃないか。前作[4.0]でCG盛り盛りのアクション活劇になっちゃった。その後遺症というか反省がされてない。というか、おそらく"反省しなきゃならない"と捉えていないんでしょう。ただ単純に〈超える〉事しか目指していない。だから"一面性の側"だけで中身が薄い。その表れが前述の盛り盛り過食気味カーチェイスにも現れてるんですよ。「超えなきゃ!派手にしなきゃ!」で。
〈スケールが大きい〉と〈ただ派手にする〉はイコールじゃない。
カーチェイスにしても爆破シーンにしても銃撃戦にしても「派手にしときゃ」感が透けて見えるのよ。それに1作目でビルの中という限られたエリアでボロボロになりながら愚痴をこぼしたり泣き言を言いながら孤軍奮闘するという新しいフォーマット像を作れたのに、2作目で派手さとスケールが大きくなって(一応2作目も孤軍奮闘スタイルは継承してはいる)3作目で監督が軌道修正して等身大のマクレーンという元に戻した(とぼくは思ってます)のに4作目の[4.0]でほとんどスーパーマンになってしまった。CGが全面に出ちゃって。明らかに1作目の活躍の仕方と違うもん。その良くない流れを止めるどころか拍車をかけるように今作でその傾向はさらに顕著になってる。もちろん悪い方に。そうじゃないんですよ、マクレーンは。スーパーマン([4.0]が1番常人離れしてると思う)にならなくていいんですよ。「何でもできる」超人なんかじゃないんですって。「死にそうで死なない」諦めの悪い男なんですよ、マクレーンってのは。
もうひとつ、この作品がしっかり立ててない足腰の弱さの原因が《ジャックに惹かれる有能さも魅力も感じない》なんですよ。CIAのエース感はほぼ皆無に近い。ただただ親父に反抗してる部分だけが悪目立ちして。そんでクライマックス前に急に2人が和解して親子愛を見せつける描写もなんか駆け足感があってもったいなかった。感情移入もそんなにできない。惹かれてないから。それに、マクレーン家の血筋の無鉄砲さやガラの悪さというか"輩感"とでもいうのかそーゆーのがないんですよ。母親のホーリーのインタビューに答えるよりも先にソーンバーグをぶん殴った血の気の多さや、明らかにその遺伝子を受け継いだような銃を持った悪党に対しても真正面から反抗してみせたお姉ちゃんのルーシーのような肝の座り方も。ルーシーの方がよっぽどマクレーンの子供ですよ。弟は「いい子いい子」で育てられたお坊ちゃんでもあるまいし。なんならやんちゃ娘のルーシーを見て育ってるでしょうよ。知らんけど。そんな坊ちゃんならCIAに入るとかの設定もブレちゃうし。まぁ一緒に行動する親父の荒唐無稽さとの対比のために抑えたのかもしれませんけどその比較のさせ方は良策じゃないよ。〈型破りx型破り〉でお互いがその型破りっぷりを上書きし合う方がマクレーン家の良さが引き立つんじゃないのかよ。
あと、ついでに言わせてもらえば、せめてクライマックスを夜が明けて明るくなり始めた時間帯に設定すりゃやりたい事や見せたい事、観て欲しい事が多少なりともわかりやすくなっておもしろさも変わった(かもしれん)のに。夜間でそれがほとんど伝わってこない。夜間にする必要ないやん。まぁあの手榴弾が引火した炎のくだりがキレイに見えて映えたくらいか?あのワンシーンを活かすために夜の設定にしたのならコスパ悪すぎるやん。
ホテルでの危機一髪のシーンで突然笑い出して敵を欺くやり方は1作目のラストのハンスとのシーン、反撃する時に天井のガラスを撃って敵を錯乱させるのはハンスとカールの『Shoot the glass!』のシーン、ジョンとジャックがコマロフと保管庫で遭遇する場面は爆弾の確認をしててマクレーンとバッタリ出会ったハンスが嘘をついて身分を隠したシーン、ラストのヘリのテールローターのくだりも落ちるコマロフは「ビルから落ちるハンス」と2作目で「ジェット機のエンジンに巻き込まれたグラント」を合わせたオマージュ…なんでしょうが、どれもただのパロディーにしか見えない。おまけに本来なら1番の魅せ場であろうクライマックスのヘリの特攻もてんで的外れというか。近年稀に見る無駄死にやないの。あんな死に方をさせられたイリーナが敵であるにも関わらず不憫で仕方ない。あんな親父の死に様を見せられて(ましてや自分の操縦するヘリで)あの終わらせ方じゃ浮かばれないよ。
ただ、すごく良かったところももちろんありまして。ラストのジャックを救うためのジョンのヘリからの決死のダイブはすごくカッコよかったしあのシーンはすごく[ダイハード]でした。好きな[ダイハード]。好きな〈ジョン・マクレーン〉でした。ただ過去作と少し違うカッコよさで、あのアクセルを踏む瞬間はジョンは助かる事なんて考えてなかったと思うんです。ナカトミ・プラザの屋上から消火ホースを体に巻いて飛び降りる時、「軍隊葬」として銃弾の嵐を浴びた挙句目の前にグレネードが投げ込まれて脱出装置を使った時、豪水に飲み込まれそうになった時や大量の爆薬と拘束された時、天然ガスを送り込まれ建物ごと爆破されそうになった時も戦闘機対トレーラーなんていう闘いにもならないようなマッチアップになった時、それでもマクレーンは〈死ぬ事〉を考えてなかったはずなんです。必ず〈生き延びよう〉と抗う行動を取って結果生き延びてるんです。なんなら〈勝てる!〉〈大丈夫!〉と思ってるでしょ。でも、あの武装ヘリからあの高さで車を落とした時は助かる計算なんかしていない。鎖で繋がれてるとはいえヘリが落ちれば当然死ぬ事になるし鎖が解かれてヘリの落下から逃れたとしても車が落ちれば助かる高さではない。それがわかってていつものあの台詞を言って自分を鼓舞してアクセルを踏み、ヘリからダイブしたんですよ。前述した序盤のカーチェイスでのラストの無謀な運転も。同じ理由なんです。なぜか。親だから。息子を護るため。全てはジャックを護るために。それがたまらなく好きでした。
ジョン・マクレーン役を演じたブルース・ウィリスが俳優引退をしたためにジョンが主役のダイハードは今後作られる事はなくなりました。 願わくば6作目でまたマクティアナン監督が復帰してブルース・ウィリスと組んでちゃんとした[ダイハード]で締めくくって欲しかったという欲がないわけじゃないけど。別の俳優でリブートとか作る可能性がゼロじゃないけど、まぁ作らないでしょうね(それにあんまそんな[ダイハード]はぼくは観たくないな)。大好きなシリーズだったのでとても寂しいですが今作で観納めになるのも引き際としては良かったのかもしれません。[ランボー]や[ロッキー]もシリーズとして幕を引いたし([ロッキー]は[クリード]に引き継がれてる)[ターミネーター]なんかはまだ続けれるかもしれないし(おもろいかどうかは別として)[エイリアン]シリーズは新作が控えてる。最近は過去の作品を年を経て新作として作る流れもあるので(Netflix作品の[ビバリーヒルズ・コップ/Axel F]とか)、昔好きだったシリーズがまた新しいカタチで観れる事もあるかもしれない。でも[ダイハード]は取り敢えず今作でおしまい。それでいいです。大好きなシリーズの大円団という事で。
○(ホントなら△…✖︎寄りの。でも好きなシリーズの最終作という事で大泣きの○)
勝121
分21
負8